-ロケット打ち上げを夢見た少年が教育哲学の道へ。- 自身と対話し続けた「小さな哲学者」の決断(筑波大学教育学類4年 砂川宥人)
今まで突っ走ってきた価値観・職業観。
それを変えることには相当の思考と勇気が伴う。
「人に貢献することを第一に生きるか。」
「自分のやりたいことを第一に生きるか。」
「はたまた中間か。」
正解のない問いを前に私たちはどのように向き合い、決断していくのか。
今回は、宇宙に思いを馳せていた一人の少年が、アメリカ留学をきっかけに生き方を変え、”人間まるごと”を勉強するため筑波大学に入り、その後も目まぐるしく変わる価値観と向き合い続け選んだ道のお話。
■宇宙に夢中だった少年時代、アメリカ留学での転機
---「ロケットを飛ばしたかった。自由研究で皆既月食の赤い月に魅せられ、小中と宇宙や星について勉強し、高校では理系に進んだ。大学では宇宙工学を学び、JAXA等に就職するつもりだった。"宇宙"という存在と関わることがライフワークだと思っていた。自分がやりたかった。ただただ欲求に従っていた。」
当時、小惑星探査機はやぶさがミッションを終えて小惑星イトカワから帰還。また民間ロケットの打ち上げを描いた小説「下町ロケット」が発行された。
これらに強く影響を受けた宥人の「ロケット打ち上げ」「新星発見」への想いは高校進学とともにさらに確固たるものとなっていった。
宥人に転機が訪れたのは高校2年。
太平洋を越えた異国で、二つのことが宥人の考え、そして人生を大きく動かす。
①人間がちがう
---「そこは人間がちがった。何もかも。
性格が、考え方が、ライフスタイルそのものが。
"何でこんなにゆっくり生きているの?"
"何でこんなにバスの運転手さんは陽気なの?"
"何でみんなアメリカ人なのに見た目も考え方もちがうの?"
"何で銃声が聞こえるの?"
よくも悪くもそこは人間がちがった、生きている世界が違った。」
アメリカで感じたこれらをきっかけに、彼の興味は人間のちがい・形成を知ることに向いていく。
---「国が違うだけでこんなにも、同じ国の中でさえこんなにも色んな人がいる。
人間っていったい何なんだ。」
②ESL(英語)の先生との出会い
---「愛が伝わってきた。言葉・文化・人種を越えたところで、
その先生から、愛だけが伝わってきた。」
彼を変えたもう一つの出会い。
それは英語がまだ拙かった宥人たちアジア人にも、アメリカ人にも、中東の人にも隔てなく人間として真っ正面から接する先生であった。
---「人に何を与えられるかを第一に考える先生だった。生徒一人一人に向き合い、"今ここ"の生徒の人生に関わる。まさにその瞬間、生徒の人生が動き出すような、人間まるごとを受け止める先生だった。」
以下はその先生が、宥人に放ったことばである。
人生には必ず犠牲がある。どんな生き方を選ぼうと必ず困難を強いられる。それでも人生において、幸せというものを定義するとしたら、それは困難を乗り越えた先にある他者の喜びではないか。あなたは何のために困難に立ち向かうのか。
このときをきっかけに彼の価値観は大きく変容する。
---「好きで好きで、飛ばしたかったロケット。
けどその先に、夢をかなえた先に何がある?
仕事というのは必ずしも自分の為だけに追求するものではない。
ESLの先生のように
僕は人間に、その人生に目の前で関わり、喜びを与えたい。溢れ出る人間への興味(①)、そして人に内面から関わり、その人生を動かし彩を与えたい(②)。」
自分の好きを追う道から、人に与えた先の幸せを追う道へ。
こうして彼は、ロケットに対する想いを捨て、文転。
人間と教育について学ぶため、筑波大学人間学群教育学類に進学する。
■ 砂川宥人のいま。-教育研究者の道かスウェーデン進学か-
筑波大学に進学し、現在4年生となった宥人。
大学4年間を歩む中で、宥人の価値観はさらに柔軟に深く変わっていった。
いま、彼の目の前に広がる道は大きく二つに分かれる。
「教育研究者」と「スウェーデン進学」である。
いまからみなさんには、小さな哲学者の苦悩とワクワクにふれてほしい。
狭き門「教育研究者」への道
人間を知りたい、教育を知りたい。
筑波大学にて勉学に励む中、選んだ分野は「教育哲学」。
それは良い教師になる方法を学ぶのではない。
「教育とは何か?」
「教育を受けることは何の意味があるのか?」
How toではなくWhatを掘っていく学問分野である。
研究テーマは、
「福祉国家の基盤価値である社会的連帯のあり方」
---「"国家=単一民族" の時代は終わった。
グローバル化が進み、様々な背景を持つ人が集まる中、果たしてわたしたちは、どのような"社会的連帯"を築いていくことができるだろうか。
移民の方、障害を持っている方、失業をした方、社会の中で支援が必要な方。
全ての人が、人種、民族、宗教にかかわらず生を保証され、"見棄てられない"社会。
そしてその社会を担っていく"市民"とはどのような存在かを追求したい。
"社会的連帯"も、それを通した他者への貢献も必要だし、その先に人間社会としての幸せがある。」
宥人はそう語る。
今の研究が直結するキャリアは研究者の道。
ただしその道は現実的に狭き門であり、博士号まで進んだとしても教授になれるのはわずか。
社会へ出るのは27~28歳前後。
現実に目を向けたとき、宥人はもう一度職業観を振り返る。-
--「人間形成に対する、そして"ちがう"が"ちがう"として共生する社会への探究心。
それを生かせる選択肢の一つは、たしかに研究者である。
けれど、頂上に登る道は決して一つではない。
他にも、自身の探究心や強みが生きる場所があるはず。」
ここでもう一つの選択肢、「スウェーデン進学」への想いが芽生える。
自身が"ちがう"へ、「スウェーデン進学」への道
宥人にとって、スウェーデン進学は研究者の道に進むことと全くちがう位置付けである。
---「研究者以外のキャリアを考えた時、浮かんだのは国際交流を仕事にすること。人間の"ちがう"の共生への探究。
自身が熱意を注いできた研究。
筑波大学で留学生と関わり続けた経験。
好きな英語や発信活動。それを生かして仕事がしたい。
未曾有に架け橋をかける存在になりたい。
具体的には、国際交流基金や外務省、Japan Times。
国際的に"ちがう"を知って、"ちがう"を発信したい。
そのためにまずは自身が異国の地で、"ちがう"存在になりたい。
だからこそ海外進学の道に惹かれている。
また、自分の理想に近い「社会的連帯」を形成しているスウェーデンで学問を追求したい。」
自分でも驚くくらい職業観が変わっていると宥人は続ける。
---「ロケットに夢中だった少年時代。
自分の好きだけを追うのが幸せだった。
けど、アメリカでの出会いをきっかけに、人の人生に内面から関わり、人の生き方に直接貢献することが幸せだという価値観に変わった。
さらに教育哲学を研究し、今は
必ずしも人を直接変える、動かすことだけが幸せの形ではないという考えに至った。
研究者や国際交流、どの道を決断しようとも自分のしたことが
まわりまわって、世の中を1ミリでも幸せにできるならこんなに嬉しいことはない。」
---「将来、また価値観は変わっていくと思う。
そのときそのときの決断がどう未来につながるかなんかわからない。
けどその決断のドット(点)はあとで振り返ったら繋ぐことができるから。
これからも"今ここ"に素直に決断して生きたい。」
■ おわりに
どうも筆者サイトウです。
本日、紹介したのは宥人のほんの一部の価値観に過ぎません。
記事に書けなかったことが山ほどあるのでキャンパス内で彼にお会いしたら聞いてみてください。
彼ほどピュアな熱意に向き合う人になかなか出会うことはないと思います。
今回、強く感じたのは、一人の人間の中においても多様な価値観、"ちがい"が存在し、それは時間軸の中で刻々と変化していくということ。
他者貢献か自己実現か。
研究者か就職か。
好きな道か、得意な道か。
人生における岐路には、やはり正解などないのだと思います。
それでも、そのときそのとき自分が責任を持って決断したこと(点)は、あとあと振り返ると、人には真似できない、あなた自身の軌跡を描くのではないのでしょうか。
最後まで読んで頂いた方、本当にありがとうございました。
感じたこと等ありましたら、いつでもコメントだったり、話しかけてくれたら嬉しい限りです。
それでは、また。
-------------------------------------------------
取材・文:齊藤滉平(筑波大学生物資源学類3年)
写真:宥人から借用、齊藤滉平