「自分のつくる水族館でとびっきりの非現実を」岐阜のうなぎ男子、酒井啓成の描く水族館はこんなにどでけえ。(筑波大学3年)
「自分のつくる水族館でとびっきりの非現実を届けたい、海の中はこんなにも雄大なんだって」。そう語るのは筑波大、生物資源学類3年の酒井啓成さんだ。小学生から飼い始めたうなぎ、そして高校時代に訪れた宮城県のマリンピア松島水族館との出会いがきっかけで、魚や水族館に対して特別な想いを抱くようになる。大学2年次にはタイの名門カセサート大学に留学、水産学部教授のもとで研究を手伝う。翌年3月には、世界一と名高いポルトガル、リスボン水族館へ自ら足を運び、夏には西日本を回りながら、20箇所の水族館を巡った。
■あの日、うなぎがやってきて
「もう10年来の親友よ。名前はないけどね」小学5年生のときに突然、友人からもらったうなぎを、酒井さんは今でも大切に育てている。愛着が増すにつれ、うなぎを取りまく問題にも目がいくようになったという。
「なじみのある魚だけど、2011年まで産卵場が解明されていなかった。まだまだわからない生態も多くて、今でも完全養殖(ひとの手で産ませて、育て、また産ませる)は進んでないんだ」。
現在行われている養殖は、シラスウナギ(うなぎの稚魚)を川で捕ってきて、それを養殖池で育てるという方法で、繁殖がサイクルになく、持続的ではないと酒井さんは続ける。
ニホンウナギは個体数が減少し、2013年には絶滅危惧種に指定された。また、2019年のニホンウナギの国内漁獲量は過去最低だった。
うなぎに対する愛はもちろんだが、それを食する日本の文化も大好きだという酒井さん。「家でじいちゃんとうなぎを食う、みたいな習慣をぼくらの世代で終わらせたくない」と想いを募らせる。
■ほんとうに魚を見る場所?
「魚」が好きから「水族館」が好きになるまでは時間はかからなかった。きっかけは高校時代に訪れた、閉館寸前だった宮城県松島町の水族館 “マリンピア松島” との出会いだ。
「閉館直前のマリンピア松島の展示は、ほかの水族館とはちがった。魚だけではなく、水族館の沿革や飼育員の方々の想い、地域の人からの“ありがとう”の声が一面に展示されていた。そのまるごとに魅せられた」と酒井さんは当時を振り返る。
日本で2番目に歴史のある水族館でもあったマリンピア松島。老朽化に加え、東日本大震災の被害や、その後の移転が断念されたことで、2015年5月、その歴史に幕を下ろした。
「それまでは魚を見せる場所だと思っていた水族館。けど水族館そのものを見せる場所なんだと気づかされたよ」。(酒井さん)
■心のそこのマイペンライ
2017年に筑波大、生物資源学類に進学した酒井さん。大学2年次には、親友のうなぎにいっとき涙の別れを告げ、もう一人の親友、トモノリことヤハタ君とタイの名門カセサート大学に半年間留学へ。
「タイに行く前、ぼくはなにか大きいことがしたいとか、困っている人に社会貢献したいとか、そんなことを考えていた」。(酒井さん)
しかし、酒井さんがタイで出会った多くの人たちは、将来や社会的な価値に縛られず、1日1日を全力で楽しんでいたという。
「その様子がとても幸せそうで、日本とのちがいを感じたよ。今まで、人の役に立つとは、社会貢献とは、といったことで漠然と悩んでいたのが、一気に吹っ切れて、好きなことで、誰かの心に新しい価値観を届けたいと思うようになった」と酒井さんは話す。
そして、これを考えたときに頭の中から出てきたのが、だれも見たことのない世界一の水族館をつくることだったという。
■現世界一はポルトガル?
「今の世界一の水族館を見にいきたい」。タイから帰国した酒井さんは、その3ヶ月後、ポルトガル首都リスボンの、世界一と名高い水族館に足を運んだ。
“リスボン水族館” である。
「面積とか、飼育数とか、収益が1位とかではない。レビュー(満足度)が世界一。しかも、観光客だけではなく、水族館マニアや専門家からも圧倒的に高い評価を得ているんだ」と力のこもる酒井さん。
アイデアノートを手に、片っぱしからその魅力を書き留めたという。
「すべての水槽に、テーマとメッセージ性が宿っていた。自然そのものを再現していて、まさにその中に放り込まれたような空間だった」。(酒井さん)
たとえば、ぐるりとうねる螺旋階段の真ん中には、巨大な水槽。2階から1階へと降りていくことで、表層付近の魚の目線、下から見上げる魚の目線、両方を体感できる。奥ゆきも、水深もふかい。日光が上から差し込み、深層にはこんなにも光が届かないのかと、来館者が気づくことができるようなつくりだ。
日本では横から見ることが多い、ラッコの展示。リスボン水族館では、上から見ることで、無意識にラッコがどれだけ潜っていられるのか、肌で感じることができる。
自然をそのまま切りとってきたような、水槽の数々。ペンギンとともに魚が泳ぎ、空には鳥が飛ぶ。魚の大群に混じり、サメやエイが優雅に泳ぎまわり、そこには、まさに食物連鎖が存在する。
そして、中でも酒井さんの心を動かしたのは、館内展示の最後に映し出される1本のビデオだ。20分ほどのビデオに、来館者たちは釘付けになるという。
「みんな、ここはなにかがちがうって。そう感じているから立ちどまる。リスボン水族館の歴史や想い、教育や保全活動の紹介がつぎつぎに流れていく」。
そしてビデオの最後には ”Stop and Listen. Nature is a great teacher.“ (ちょっと立ちどまって、自然の声に耳を傾けなさい)の言葉。これは今の酒井さんの座右の銘になっているという。
「水族館を最後までまわって、ビデオを見たあとは涙が出るかと思った。はるばる一人でここまできて。自然はこんなにも雄大で、ぼくらは、自然という恩恵に、海という存在に生かされているんだって感じた」と酒井さん。
また、自分なりに良い水族館とはなにかということを整理できるようになったという。
「一人一人の、もっていた自然への価値観をすこしでも変えることができる。そんな水族館が、いい水族館なんだ。自然は守るべきとか、そういうことじゃなくて、そもそもぼくらも生態系の一部であって。そういうことをみんなが当たり前に考えるようになればいい。その役割を担うのが水族館なのかな」。(酒井さん)
ポルトガルから帰国後、酒井さんは日本で水族館を巡ることに没頭。大学3年次の夏には西日本を回りながら、20箇所の水族館を訪れた。
「まずは、こいつと水族館に行くとおもしろいって思われる人間になりたい。すべての日本の水族館を巡りたい。勘を鋭くしたいんだ。この水族館はここに力を入れているのか、この水槽1つからなにを伝えようとしているのかって考えながら。あとは再現する自然を明確にしたいから世界中のいろんな海に潜りたい」と酒井さんは、未来について想いを語る。
「いつか、自分のつくる水族館でとびっきりの非現実を届けたい。訪れた人には、感じてほしい。生態系はこんなにもキラキラしているんだって。海はこんなにも壮大で、多様で、対等なんだって」。
おわり
■おわりに
ごぶさたしています、筆者サイトウです。
今回は、学部の友人、酒井啓成にインタビューをさせていただきました。
彼とは、タイであったり、マレーシアであったり、またタイであったりと少々せわしなくも、たくさんお世話になっています。
そんな彼の、こっちまでワクワクしてくるような水族館と海の話を改めて、聞くことができて素直にうれしいです。
ひとつ遺憾だとすれば、これ酒井啓成2019年バージョンなんですよね。
またやってしまいました。
取材したの、2019年7月21日なんです。
湿った空気が入りこみ、西日本中心に雨が降った、そう、あの日です。
書いている、今日は、2020年5月2日。
あかん、あかん、日数にして、二百と飛んで八十六日も経ちました。
なつかしいですね。その間、色々ありました。
ラグビーW杯では日本代表の大躍進に心を踊らせ
タオルを振って応援した巨人、不動の捕手、阿部慎之助選手の引退があり
消費税はいつの間にか、あらま10%になっていて
そうだ、外国語映画としては史上初、韓国の「パラサイト」がアカデミー賞を受賞しましたね。ああ、観たいなあ。
それにしても、最近も本当に変化の激しい日々が続きますね。
はい、なんの話かって。
ときを戻しましょう。
ということで、今回読んでもらった啓成のお話は、今では、また、だいぶ進んでいるのです。
申し訳ない...。
さらに成長した彼のことは、彼にきくのが一番ですね。
実はすでに、とある水族館の館長になったそうだと、潮風のうわさを松美池のカモたちから聞きました。
ここから先の冒険はまたいつか。
最後に彼の、ウェブページとアカウントをそっと置いておきます。
お手すきの方はちょっくらのぞいてみると、発見があったりするかもです。
酒井さんTwitter:鶏 (@serinunbard) | Twitter
ご精読ありがとうございました。
健康にお気をつけて、またどこかで会いましょう。
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取材・文:齊藤滉平(筑波大生物資源学類3年)
写真(酒井さんから借用)